2023年5月27日 5時00分

「ふるさと」の惨劇

 “ふるさと”という言葉は、年齢を重ねるとともに、追憶(ついおく)とまじりあったて(まじりあって)心の奥深くまで染みこんでくる。〈兎(うさぎ)追ひしかの山 小鮒(こぶな)釣りしかの川〉。日本の原風景(げんふうけい)をうたった『故郷(ふるさと)』ほど、多くの人に愛される歌もないだろう▼国文学者である高野辰之(たかの たつゆき)が作詞を手がけた。きのう、出身地にたつ記念館を訪れた。紡がれた(つむがれた)歌詞は、生家の裏山などでの思い出がもとになったと伝えられているそうだ。一帯には、雲雀(ヒバリ)が囀る(さえずる)穏やかな風景が広がっていた。長野県中野市である▼明暗の差は、事件の悲しみをいっそう深くする。そこで4人死亡という凶行が起きてしまった。住民が避難していた中学校では一夜明け、3時間目からの授業となった。車で子どもを送ってきた保護者の顔には、不安げな表情が張り付いたままだった▼犯行時に、迷彩服で身を固めた男は、女性を追って畑で刺し、警官に発砲すると歩いて去ったのだという。「銃を下ろして」という警官の呼びかけにも無表情だったと聞いて、不気味(ぶきみ)な印象だけが残る。命を奪うことに、ためらいのかけらもなかったのか▼男が立てこもった自宅から、母親は逃げた。警察に「あれは自分の息子だ」と告げたそうだ。母の心情を考えると、何ともせつなくなる。市議会議長だった父親は議員を辞めた▼『故郷』の歌詞はこう続く。〈如何(いか)にいます父母 恙(つつが)なしや友がき〉。親の愛情や地域の人々の励ましに支えられた日が、男にもあったろうに。いったい何があったのか。