2023年5月3日
憲法24条に込めた願い
「日本には女性が男性と同じ権利をもつ土壌(どじょう)はない、この条項(じょうもく)は日本には適さない」。1946年3月、GHQと行った憲法草案の協議で日本政府は「男女同権」に異議を唱えた――(となえーた)。約60年後のインタビューでこう振り返ったのは、故ベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon)[1]である▼著名なユダヤ人ピアニストの娘で5歳から10年間を日本で暮らした。GHQ民政局に採用されて再来日し、憲法草案で女性の権利担当に。農村での身売り話(みうりばなし)などに心を痛めた記憶から「女性の幸せなくして日本に平和はない」と奮闘した▼協議は天皇に関する条項で難航し、日付が変わった。だが、日本側の剣幕に「眠気なんてすっとんでしまい、私は緊張でからだを強張らせて(こわばらせて)」いたと話している(『ベアテと語る「女性の幸福」と憲法』)▼日本政府が反対した条項は最終的に残り、男女平等の礎として憲法24条[2]にも生かされた。ベアテは他にも非嫡出(ひちゃくしゅつ)子への差別禁止などを盛り込もうとしたが、詳細で憲法に馴染まなかった(なじまなかった)と晩年まで残念がっていた▼当時、新憲法の啓発用にGHQがつくった比較形式のポスターがある。男性だけが「妻ヲ支配スル」「財産ヲ所有スル」のが「憲法以前」。横並びの男女が「何事モ相談シテ決メル」のが「憲法以後」だ▼きょうは憲法記念日。家制度(いえせいど)は消え、「以後」の76年で夫婦が平等になった、はずだ。だが、実態はどうか。家族の形が多様化するいま、ベアテが築いた「平等」の土台をどう生かすかが問われている。
[1]
ベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon, 1923年10月25日 - 2012年12月30日)は、アメリカ合衆国の舞台芸術監督、フェミニスト。ウィーン生まれでユダヤ系ウクライナ人(ロシア統治時代)の父母(ふぼ)を持ち、少女時代に日本で育った。1946年の日本国憲法制定に関わった人物として知られており、このうち2012年まで存命した唯一の人物であった。
22歳で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民政局に所属し、GHQ憲法草案制定会議のメンバーとして日本国憲法の人権条項作成に関与した。
日本では日本国憲法第24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)草案を執筆した事実が1990年代になって知られ、著名となった。戦後はニューヨークに居を構え(きょをかまえ)、ジャパン・ソサエティー、アジア・ソサエティーのプロデューサー・ディレクターとして世界の民俗芸能を米国に紹介。アジア・ソサエティを退職後、パフォーミング・アーティストを集めて世界中を公演するキャラバン(文化交流事業)の実現を目指した。
[2]
憲法第24条は、「すべての人は、法律の下に平等であって、何人も、国民でなければ、公務員又はこれに準ずる者による差別的な行為を受けることはない。」という内容の条文です。この条文は、すべての人が法の下で平等であることを明記し、国民以外の人に対する差別を禁止することを規定しています。