2023年9月6日 5時00分

朝鮮人虐殺の記録

 手垢(てあか)のついた表現はなるべく使わぬように心がけているが、きょうは率直にこう書く。先日の記事には、まったく目を疑った(うたがった)。関東大震災での朝鮮人虐殺(ぎゃくさつ)について「政府として調査したかぎり、事実関係を把握できる記録が見当たらない」という松野博一(まつの ひろいち)官房長官の発言である▼そんなわけがない。たとえば政府がネット上に設けているアジア歴史資料センターでも、当時の司法省の資料は見つけられる。100年前のきょう6日(むいか)には、埼玉・寄居(起居)で具学永(クハギョン)さんが日本刀(にほんとう)や竹槍(たけやり)などを持った人々に殺された、と多くの被害事例の中にある▼「興奮したる民心は(略)順良にして何等(なんら)非行なき者に対しても害を加えた」「寔(まこと)に遺憾とする所なり(ところなり)」。過ちを嘆じる声(たんじるこえ)が聞こえてきそうな、生々しい記述である▼もちろん、当時の資料にも内容の誤りや思い込みはあるだろう。しかし研究者や市民団体がこれまでに集めた証言などと照らし合わせれば、多くの朝鮮人らが虐殺された事実は、いまさら揺るがしようもない▼気づかなかった不明を恥じるが、政府はここ数年、今回と同じ答弁を国会などで繰り返してきたそうだ。虐殺の有無(うむ)には触れぬまま、「記録がない」とあえて何度も言う。そうして、あたかも歴史的事実があいまいであるかのような印象をばらまく▼じつに危うい。いったい政府は何を守り、どこへ向かおうとしているのか。まだ希薄(きはく)な、しかし得体の知れぬ(えたいのしれぬ)空気が漂っているようにも思われてならない。うすら寒くなる。