2023年7月26日 5時00分

森村誠一さん逝く

 人生の転機は思わぬところで待ち受けている。森村誠一(もりむら せいいちさんのもとに、寒ブリ(かんぶり)を手土産にした角川春樹(かどがわ はるき)さんが訪ねてきたのは1970年代半ば。創刊する文芸誌の目玉がほしい。「作家の証明書になるような作品を書いていただきたい」▼証明、という言葉が閃光(せんこう)のように脳裏に走ったと、森村さんは『遠い昨日、近い昔』で回想している。書き上げた『人間の証明』は、映画との相乗効果(あいのりこうか)もあってベストセラーに。「読んでから見るか、見てから読むか」。幼いころ、ブラウン管(ブラウンかん)の画面で見たテレビCMが遠く懐かしい▼『証明』3部作からノンフィクション『悪魔の飽食(あくまのほうしょく』、そして晩年のエッセー『老いる意味』まで。ふり返れば、なんと息の長く、なんと幅の広い作家活動であったか▼こんな厳しい言葉も残している。「作家は作品を書いている間だけプロで、書かなくなったとき、また、書けなくなったときは、すでに作家ではない」。ライバルがひしめく世界で、己(おのれ)を戒めて(いましめて)きたのだろう。甘いマスクの奥の強いまなざしが印象的だった。森村さんが90歳で亡くなった▼本紙の声欄には何度も投稿していただいた。空襲の下を逃げまどった世代として、憲法9条や表現の自由をおびやかす昨今の政治に手厳しかった▼冒頭の回想録で、英作家の言葉を引用している。「最高の愛国心とは、あなたの国が不名誉で、悪辣(あくらつ)で、馬鹿みたいなことをしている時に、それを言ってやることだ」。言ってやれる反骨の人が逝ってしまった。


寒ぶり.png

鰤:鰤の肉は淡い黄色で、やや脂がのった味わいがあります。

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79歳の角川春樹.png

角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8日 - )は、日本の実業家、映画製作者、俳人。角川源義(かどがわ げんよし)の長男。角川春樹事務所代表取締役社長。宗教法人明日香宮(明日香宮宮司(ぐうじ)。「河」主宰。 1975年に父を引き継ぎ、角川書店社長に就任する。翌年『犬神家(いぬがみのいちぞく)の一族』から映画製作に参入し、『人間の証明』『野性の証明』などで角川商法と呼ばれたメディアミックスによる商法によってヒットさせる。監督として1982年『汚れた英雄』でデビューし、『天と地と』『REX 恐竜物語』などを製作する。1993年麻薬取締法違反などで逮捕され、角川書店社長の座を退き、角川春樹事務所を設立する。