2023年7月16日 5時00分

繰り返された失敗

 白球(はっきゅう)を追った10代のころ。失策をしては、なにがダメだったのかと自省(じせい)したのを思い出す。「負けは謙虚さと慎重さ(しんちょうさ)の母」(『負けかたの極意(ごくい)』)。名将として知られた野村克也(のむら かつや)さんの言葉だ。大事なのは負けた後。失敗をいかそうとすれば、ものごとに謙虚な姿勢で取り組むようになる▼スポーツに限らない。政治や経済の世界でも、そうだろう。では刑事司法はどうか。長期の身体拘束(からだこうそく)で、うその自白を強いる(しいる)。過去の冤罪(えんざい)事件で問題になるたび、捜査機関は再発を防ぐ(ふせぐ)と誓って(ちかって)きた▼その「謙虚さ」を、どこに置いてきてしまったのか。大阪の男性が、SNSで知人女性を脅した(おびやかした)などとして誤認逮捕された事件である。無実の訴え(うったえ)は聞き入れられず、42日間(よんじゅうににちかん)も拘束された。アリバイの確認が不十分だったという▼男性が取り調べの様子を記したノートには、自白を迫る(せまる)ような言葉が並ぶ。「暴力団組長(くみちょう)は状況証拠で実刑判決になった。君も同じだ」「100%犯人だと思っている」。今もこんな調べが行われているのか、とぞっとする▼会社社長らが、軍事転用できる機器を許可なく輸出したとして起訴されながら、取り消された件も驚いた。警察官が法廷で事件は「捏造(ねつぞう)」だったと証言したのだ。なぜ捜査を誤ったのか▼野村さんは、失敗から学ぶには「恥(はじ)を知ること」がスタートだ、とも書いている。失策を「恥」と思わずに忘れてしまえば、反省しないからだ。今度こそ捜査当局は恥じている。そう信じて、いいのだろうか。