2025年4月23日 5時00分
自分はどこから来たか
私はなぜ、私なのか。私という存在は何なのか。当たり前にも思える日常に、ふと、そんな疑問が頭をよぎることがある。母親がいて、父親がいて、私を私と知る家族や友人がいて、いま自分はここにいる。でも、その認識が突然、ガチャンと崩れたら、どうだろう▼江蔵智(えぐら さとし)さん(67)は、28年前に母親がたまたま受けた検査をきっかけに、両親と血のつながりがないことを知った。呆然(ぼうぜん)とし、調べてみると、いまはもうない東京都立の産院で、赤ちゃんの取り違えがあったことが分かった▼その驚愕(きょうがく)がいかに大きかったかは想像に余りある。「生みの親に会いたい」。幼いころから、自分は家族のなかで浮いているとの違和感があった。「ルーツを知るのは、この世に生まれた人の素朴(そぼく)な権利だと思う」。悩みを重ねた末の言葉は重い▼おととい裁判所は、東京都に対し、親捜しに協力するよう命じる判決を下した。人は誰でも自分がどこから来たかを知ることができる。「出自(しゅつじ)を知る権利」を認める画期的な判断である▼判決を読んで、首肯(しゅこう)する。もし調査が進めば、取り違えられたもう片方(かたほう)の人の出自も、合わせ鏡のように揺らぐことになる。その父母(ふぼ)もまた、自己を揺さぶられるだろう。でも、だからといって、江蔵さんの権利に目をつぶるというのは、正義とはとても言えまい▼「実の親が会いたくないなら、それ以上は望まない。でも、自分が何者かを知るためにも会いたいんです」。深奥(しんおう)に響く、ひとりの人間の願いである。