2025年4月6日 5時00分
牛乳瓶(ぎゅうにゅうびん)への追憶
芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)が生まれたのは1892年。生まれ落ちた時から牛乳を飲んで育って来た、と自伝的小説『大導寺信輔(だいどうじ しんすけ)の半生)(はんしょう)』で書いている。何しろ実父(じっぷ)は、東京・築地(つきじ)や新宿で牛を飼う牛乳販売業「耕牧舎(こうぼくしゃ)」の支配人だった▼芥川家へは毎日配達があり、幼少(ようしょう)xsのころに牛乳専用のガラス瓶が世の中に登場したそうだから、彼もあの心地よいカチャカチャという瓶の音で目を覚ましていたのかもしれない▼時代の先端を行ったものも、いつかは消えゆく。食品大手の明治が、瓶入りの牛乳やコーヒー飲料の販売を先月で終了した。100年近い歴史を重ねてきたが、需要(じゅよう)が減り、瓶の調達(ちょうたつ)が今後は難しくなると判断した。もう久しく手にしていないくせに何とも寂しいのは、郷愁(きょうしゅう)と分かちがたいからだろう▼わが家は、隣が豆腐屋さんだった。まだ星の見える早暁(そうぎょう)だというのに、大豆を煮るボイラーに火が入り、ゴオッとうなりをあげる。しばらくすると新聞配達のバイクが来る。競うように牛乳配達の音がする▼指先で瓶の重さを感じながら、ひんやりした肉厚(にくあつ)の丸いガラスに唇をあて、のどを鳴らし、残りの量を目ではかる。瓶で飲む牛乳のおいしさといったらなかった。あれは何だったのだろう。中身は同じはずなのに、味まで違った▼〈牛乳をこくこくと飲む新しいまっしろな時間を体に入れる〉九螺ささら(くらささら、歌人)。夏休みの田舎で、部活帰りの路上で。瓶を透かしながら、自分の前にまっ白な時間がずっと続くと思えた日々が、懐かしい。