2025年4月26日 5時00分
石川一雄さんの追悼集会
しんみりとした歌声(うたごえ)が響いていた。〈吹けば飛ぶよな 将棋の駒に〉。「王将」の演歌の調べである。〈賭けた命を 笑わば笑え〉。マイクを握った男性の顔には、深いしわが幾重(いくえ)にも刻まれている。友人たちとの会食の席だろうか▼この3月に届いた訃報(ふほう)だった。狭山事件で強盗殺人罪に問われ、無実を訴え続けてきた石川一雄さんが亡くなった。86歳だった。先週、東京・神保町駅の近くで開かれた追悼集会に行くと、在りし日の故人の日常を映した動画が流れていた▼石川さんは叫んでいる。「不撓(ふとう)不屈。こんなもんに負けてたまるか」。書きためてきた短歌も、妻の早智子さんから紹介された。〈晴れる日は今日か明日かと60年 何時(いつ)も心中露時雨(つゆしぐれ)〉。無念さを塊にしたような言葉がいくつも続く▼ひどい貧困の問題があった。権力の横暴があった。教育を受けられなかった者への残酷な冷たさがあった。そして、それらの根源が、被差別部落に対する人権侵害の問題ではなかったか。獄中生活は31年に及んだ▼3回目の再審請求が出されたのは2006年だ。19年もの年月が過ぎるのに、裁判所は何ら判断を示していない。あまりにも長すぎる。冤罪(えんざい)を訴える人間に対し、いまのこの仕組みは、不条理である▼追悼会場には、フォーク歌手の小室等さんも駆けつけ、ギターを手に歌った。〈どこかで だれかが/きっと待っていてくれる〉。懐かしいにおいのする曲だった。〈くもは焼け 道は乾き/陽(ひ)はいつまでも沈まない〉
狭山事件(さやまじけん)は、1963年(昭和38年)5月に埼玉県狭山市で発生した、高校1年生の少女を被害者とする強盗強姦(ごうとう ごうかん)殺人事件、およびその裁判で無期懲役刑が確定した元被告人の男性が再審請求を申し立てていた事件。
1963年(昭和38年)5月23日、当時24歳の石川 一雄(いしかわ かずお)が逮捕され、同年6月13日、窃盗]・森林窃盗・傷害・暴行・横領の罪で起訴された。また同年7月9日、強盗強姦・強盗殺人・死体遺棄・恐喝未遂(きょうかつみすい)の罪で起訴され、一審の浦和地裁(うらわら ちさい)で石川は、全面的に罪を認め、1964年に死刑判決が言い渡された。