2025年4月24日 5時00分

初任給の千円札

忘れられない話というものがある。まあ、まずは聞いてほしい。その息子の父親は左官職人だった。どこへ出かけるにも、襟に家業と名前を染め抜いた印半纏(しるしばんてん)をまとう。東京・深川育ちの生粋の職人だったそうだ▼子どものころ、息子は道で財布を拾ったのを覚えている。中身は空で、放っておくと、父親に諭された。持ち主にとって、思い入れのある財布かもしれないぞ。交番に届けるのが、人の道ってもんだ。律義な人間の言葉だった▼息子は、兄3人が続けて病で亡くなった後に生まれた。高校生のとき、家業は継がないと伝え、これからは英語の時代だと言うと、父親はどう思ったか。それでも「やってみろよ」。そっと応援してくれた▼ときが過ぎ、父親の遺品を整理していたときのことだ。財布が出てきた。なかには、キチッと折りたたまれた千円札が一枚あった。初任給で、自分が渡した千円札だった。父親は言っていた。「迷ったらトウチャンを真似(まね)ろ。出世はできねえが、人の道に外れる心配はねえ」▼いまから20年ほど前、本紙が募集した「あなたがつづる『おやじのせなか』」の入選作である。かつて小欄でも紹介した。春がいろめき、新入社員の初々しいスーツ姿を街で目にするころになると、私はこの話を思い出す。今週、初めての給与を手にする人もいるのだろう▼我が身を振り返れば、苦い後悔が胸を突く。初任給を何に使ったかも覚えていない。愚かな息子である。遠いあの日は、もう二度と帰らない。