2025年4月15日 5時00分

熊本地震から9年

 政府軍が立てこもった熊本城に、西郷隆盛ひきいる薩摩軍が総攻撃をかけた。西南戦争である。人数で圧倒する西郷側は押しに押す。そのさまを「銃丸雨の降るが如(ごと)し」と記録は伝えている。だが城はびくともしなかった▼政府側は50日間もの籠城(ろうじょう)に耐え、ついに援軍との合流を果たして戦局を制した。のちの陸軍大臣、児玉源太郎は城内にとどまっており、味方の到着に「煮え繰り返る噪(さわ)ぎ」になったと述べている。4月14日の光景である▼同じ日付なのは、ただの偶然だろう。だがどこか因縁めいたものを感じてしまうのは、かくも堅牢であった熊本城の無残な姿が心に焼きついているからに違いない。9年前、熊本は最大震度7の揺れに2度襲われた。14日の前震、16日の本震である▼復興のシンボルとして、天守閣の工事は最優先で進められ、4年前に公開にこぎつけた。その復旧イメージゆえか、城の再建に充てる寄付金は震災直後の5分の1に減ってしまっているそうだ。だが石垣の崩落などはいまも残り、広大な城郭全体の完全復旧までには、まだ30年近くもかかるという▼「衆心、城を成す」という言葉が古い中国の書物にある。多くの人が心をあわせれば、城のように堅固になるということわざだ▼熊本を思ういま、ちょっと違った意味に解釈しても先人は許してくれるだろう。多くの人の心が集って、城は再興される。寄付でまかなわれる小さな釘一本、栗石一つ。そのどれも、きっとあの日を思う心で出来ている。