2025年4月14日 5時00分
「太陽の塔」なき万博
岡本太郎は、四つ(よんつ)の小学校を転々とした。教師たちの威張った態度や、ごまかしに反発したからだ。孤独(こどく)だったという。そんな自分にも悩んだ。ある日のこと、岡本少年は寄宿舎でひとり座っていて、気づいたという▼ゆがんだ釘(くぎ)が、板の間から頭を出していた。ああそうか、自分はこの釘なのか、出る杭(くい)は打たれるのだな。そう思ったそうだ。ただ、頭を叩(たた)かれる自分は「固くて冷たい釘ではない」と自著『自分の中に毒(どく)を持て』に記している。それは「純粋な人間の、無垢(むく)な情熱の炎だ」と▼成長した彼は、1970年の大阪万博(おおさかばんぱく)の“シンボル”をつくる。誰もが知る「太陽の塔」である。丹下健三(たんげ けんぞう)が設計した「大屋根」から、ニョキッと頭を突き出す壮観は、建築の巨匠を怒らせたらしい。既存の権威や価値観への挑戦か。いや、それはまさに、板の間から出た釘ではなかったか▼55年のときを経て、きのう大阪・関西万博が始まった。楽しみな人も多いのだろう。でも、お祭り気分にはなれない。建設費(けんせつひ)の膨張(ぼうちょう)もあるし、カジノ誘致のための万博かといった疑念も気になる▼雨雲(あめくも)の下、1周2キロの「大屋根リング」を歩いた。木の通路にパビリオン。似た光景がどこまでも続く。自分がどこにいるのか分からなくなった。人間洗濯機も火星の石も、過去をなぞるものがずらりと並ぶのに「太陽の塔」はどこにも見えない▼70年万博の跡地(あとち)では、板の間は一部を残して姿を消した。釘はいまも唇を尖らせ(とがらせ)、人々に愛され続けている。