2025年2月21日 5時00分
マルコムX暗殺から60年
父親は、ケニアのルオ族の出身だった。母親は、米中部カンザス州の貧しい家庭の白人だった。両親が出会ったハワイで、バラク・オバマ氏は1961年に生まれた。のちに「米国で初めての黒人大統領」と呼ばれる人である▼いったい自分は何者なのだろう。人種とは何なのか。10代のオバマ氏は苦悩した。差別も受ける。肌の色がうつるから「試合の予定表に触るな」。テニス大会で心ない言葉を投げつけられたこともあったという(自著『マイ・ドリーム』)▼夜になると、宿題があるからと自室にこもり、黒人文学をむさぼり読んだ。だが、どれも同じ苦しみ(にがしみ)が描かれているだけで「逃げ道は見つからなかった」。唯一、異なるものを感じたのが、マルコムXの自伝だったそうだ▼獄中で黒人史に目覚め(めざめ)、解放運動を率いた伝説的な指導者である。黒人が自らの文化を大切にしなければ、ましてや白人がそれを尊重(そんちょう)することはない。そんな考えに、オバマ氏は共感したらしい。遠い未来かもしれないが「世界が融和(ゆうわ)できるのではないかという希望が見えたような気がした」▼マルコムXが暗殺されてから、きょうで、ちょうど60年。人種の違いに人々が憎みあう(にくみあう)米国の暗い現実は、この半世紀、大きく変わったとも言えるし、そうでないとも言える▼先日のトランプ大統領の就任式には、オバマ氏の姿もあった。めっきり白髪が増え、沈んだ表情も浮かべていたが、どうだろう。その目にはまだ、「希望」は見えているだろうか。
マルコムX(Malcolm X, 1925年5月19日 - 1965年2月21日)、出生名マルコム・リトル(Malcolm Little)は、アフリカ系アメリカ人の急進的黒人解放運動指導者、イスラム教導師である。公民権運動の時代に活躍し、特に貧困層のアフリカ系アメリカ人から支持された。彼はネーション・オブ・イスラムのスポークスマンだったが、後に教団を離脱した。
暗殺 1965年2月21日、ハーレムのオーデュボン・ボールルームで行われたOAAUの集会に出席したマルコムXが演説をはじめようとしたとき、後部座席の数人が騒ぎ出し、護衛がそちらに向かったため壇上で無防備となったところを、前列にいた数人の男が発砲、ほぼ即死状態で亡くなった。数日前には家に火炎瓶(かえんびん)が投げ入れられて全焼するという事件も起こっており、マルコムは当然警戒していたが、約束の集会での演説を中止することは出来ない、として出かけたのだった。警察は現場で三人の黒人を捕らえたが、ネイション・オブ・イスラムは事件との関係を否定する声明を発表、 裁判は3人だけの犯行と断定して終身刑を言い渡して終わった。
