2025年2月19日 5時00分
生きていてくれれば
いつもの朝食が食卓(しょくたく)にはあった。トースト、目玉焼き、ウィンナー、やや変化球かもしれないが、それに納豆も。2年前の夏の日のことだ。鳥取県の米子市(よなごし)に住む荒川勉(あらがわ つとむ)さん(66)は朝起きて、妻の泰子さんが自宅にいないのに気づいた▼作りたての料理を残したままで、いったいどこへ行ったのか。泰子さんは当時59歳。若年性(じゃくねんせい)の認知症だった。自分の名前や住所はうまく言えない。でも、家事は何とかこなしていたし、日課の散歩も1人で行っていた▼「油断していました」と勉さん。いまから思えば、後悔ばかりだ。介護を間違えていなかったか。もっと早く、行方不明を通報できなかったか。彼女にすまない。「こんな別れ方はしたくない」▼勉さんから、一家の旅行を撮った、思い出のビデオを見せてもらった。植物園で、小学生だった息子たちの手をとる泰子さんの姿が映っている。穏やかな笑顔があって、楽しい言葉があって、いかにもうれしそうだ。家族が一緒にいる時間とは、何と尊いものか▼認知症の行方不明者は年々、増えている。一昨年は1万9千人に上った。大半は保護されたが、502人が亡くなり、250人が見つからなかった。この悲しい現実を、私たちは、どうすればいいのだろう▼先週末は、泰子さんの61歳の誕生日だった。「元気かなあ。どこかで、生きていてくれさえすれば……」。トースト、目玉焼き、ウィンナー、そして納豆も。あの日と同じ朝食を、勉さんはいまも毎日、作り続けている。