2025年2月18日 5時00分
雨水と余寒
宮沢賢治(みやさわ けんじ)とトシとは、2歳違いの兄妹(きょうだい)だった。トシは24歳で夭折(ようせつ)した。賢治は詩集『春と修羅』に収めた「永訣の朝」で、そのときのことを記している。蒼鉛(そうえん)色の暗い雲から、みぞれが冷たく降る日だったという。どうしようもない悲しさに、深く包まれた(つつまれた)詩である▼〈あめゆじゅとてちてけんじゃ〉。びちょびちょと沈むような雨雪を、病床(びょうしょう)のトシはとってきてほしいと頼む。賢治はさもいとおしげに、彼女のその方言を詩中で4度、繰り返す▼松の枝から雪をもらい、トシは言った。〈Ora Orade Shitori egumo〉。私は私で、一人でゆくね。詩のなかで、ここだけが英字で表記されている。やさしい兄は妹が不憫(ふびん)でたまらなくて、ひらがなで書くのが忍びなかったのだろうか▼ぬれ雪、ぼた雪、しめり雪……。この国には、たっぷりと水分を含んだ雪の表し方がいくつもある。雨まじりの重い雪は、北国の人々をときに閉じ込め、苦しめるけれど、やがて春水(しゅんすい)となり、大地を豊かに潤す(うるおす)▼きょうは二十四節気の「雨水(うすい)」。暦のうえでは、空から降ってくるものが、白い雪から雨に変わるころだという。ただ、実際には、まだ寒さはしばらく続くようだ。今週、列島の各地で大雪(おおゆき)が降ると天気予報は言っている▼夏の盛りを過ぎた後を残暑とよぶように、寒明け(さむあけ)の冷温(れいおん)は余寒(よかん)という。古くは唐代、杜甫(とほ)が詠む〈澗道(かんどう)の余寒、氷雪(ひょうせつ)を歴(へ)たり〉にひく表現だとか。澗道とは、谷川沿いの道である。早く来い、春よ。