2025年2月13日 5時00分
創られた伝統
『明治事物起原』の著者、石井研堂が思い出を書いている。明治の初め、父は地域の人々に名字をつけてあげた。次々とこなし、もう案が浮かばない。ついには徳川家臣にあやかって本多や井伊と名付けた。「おとがめはないでしょうか」と住民は恐る恐るだった、という▼同じような笑い話が各地で生まれたことだろう。きっかけは明治政府による名字の義務化である。「自今必ず苗字(みょうじ)を相唱うべし」。ちょうど150年前のきょう、布告された▼さて、その後のことだ。妻の名字はどうするのかと地方から問い合わせがあった。政府の答えは「婦女、人に嫁するも、なお所生の氏を用ゆべき事」。女性は結婚後も以前の姓を名乗るべし、と公式に通知された。いわば夫婦別姓である▼夫婦同姓に改まったのは、その約20年後の明治民法から。この制定は西洋の影響が大きかった、と政治学者の中村敏子さんがかつて本紙で語っていた▼つまり、夫婦同姓は約130年前に生まれた「創られた伝統」に過ぎない。にもかかわらず、選択的夫婦別姓の制度が実現すれば「伝統的な家族観が損なわれる」と保守派が言うのは、どうしたことだろう。きのう自民党では制度をめぐる議論が再開されたが、慎重論は相変わらず根強い▼制度の導入は別姓を強制するものではない。私としては、わが家族はみんな同じ姓であることを望むけれど、さまざまな理由で別姓を求める夫婦はいる。その思いは受け止めるべきだろう。もう結論を出す時だ。