2025年2月12日 5時00分

祖父の形見は

 つい先週のことだ。渡辺礼子さん(60)は、家族とともに朝日新聞那覇総局を訪れた。いつか見たかった「それ」が箱から出され、ふわりと広げられた。1枚の古い朝日の社旗。戦後80年での祖父の遺品との対面だった▼祖父の宗貞利登(むねさだとしと)は、戦時下の沖縄に赴任していた記者だった。地形が変わるほどの砲弾が降り注ぐなか、地下壕(ちかごう)で筆をとった。「(反撃すれば)大物量の敵集中砲火にこちらがやられてしまふ」。これが最後の記事となった▼本島南部へ逃れた宗貞は、亡くなるまで社旗を持ち歩いていたらしい。旗は戦利品として米国に持ち去られ、1995年に返還されると、那覇総局で保管されてきた▼渡辺さんの実家には、遺骨代わりの小さな石があるだけだった。祖父が亡くなった沖縄とはどんなところなのか。思いはあれど観光気分では行けない。二の足を踏んできた。旗の存在を知ったのは3年前。「そんなものが残っているなんて」。背中を押された気がした▼旗が広げられると、驚くほど鮮やかな紅白が目に飛び込んできた。そして不思議な感じが迫ってきた。「いま鳥肌が立っています。文字で知っているだけだった祖父をリアルに感じます」▼翌日、宗貞が最後に目撃された壕の中に一家で足を踏み入れた。小さな骨、ボタン、砲弾の破片。祖父の時代に何があったのかを知って、次の世代に継ぐ。短い旅の間、そう思い続けてきた。「あとは頼んだよ」。渡辺さんは、子どもたち一人ひとりの肩をぽんと叩(たた)いた。