2025年2月5日 5時00分

終末時計の1秒

 ホラー小説の名手スティーブン・キングの短編「争いが終るとき」は、怖くて悲しい兄弟の物語だ。約40年前の作品で、当時の近未来が描かれている。天才的な頭脳を持つ弟が、生物から攻撃性を奪う物質を発見し、世界平和のために散布を手伝ってほしいと頼む。無謀だと断った兄の脳裏に、世界の惨状が浮かぶ▼多発する紛争や、大規模な飢餓、猛威を振るう感染症。確かにひどい状況だ。弟を助けようと兄は翻意する。この場面で印象的なのが、地球滅亡までの残された時間を示す「終末時計」だ。15秒を指していた▼こちらはホラーではなく、現実の世界である。米科学誌が先週、終末時計を発表した。昨年から1秒進み、89秒となった。発表を始めた1947年以降で最も短い▼終末時計は、日本に原爆を投下したマンハッタン計画に参加した米科学者らが考案した。滅亡の時を真夜中の0時に見立て、初期設定は残り7分。核戦争などの危機が高まると針が進み、遠のくと戻る。78年間で18回進み、8回戻った▼今でも思い出すのは91年だ。冷戦が終わり、米ソの核軍縮を受けて、10分から17分になった。分秒は単なる象徴に過ぎない。それでも7分も巻き戻った時計を見ると、世界が良い方へ向かっているような気分になった▼今回進んだのは、核の脅威や気候変動、AIの悪用が主因だという。小説では兄弟の強引な手段で戦争がなくなったが、代償は大きかった。針を戻すのは難しい。1秒の重さ、怖さを改めて思う。