2025年3月26日 5時00分
マンスールさんが遺したもの
自分と変わらぬ人たちが、あの戦禍(せんか)の中にいる。ムハンマド・マンスールさん(29)がガザから寄せる記事には、毎回そう感じさせる何かがあった。逃げ場のない街から発せられる極限(ごくげん)の言葉は、かの地の実相(じっそう)を伝え、胸に迫った▼「ハマスが支配している地域に生まれたことが、罪なのか」「物陰で大きな声をあげて泣いた。家族の前でこんな顔を見せるわけにいかない」「テントの布地(ぬのち)には連日連夜の空爆の恐怖の記憶が染みついている」「奪われることがこれほどの痛みを伴うのならば、初めからなかったらよかったのに」「でも、生きなくては」▼停戦合意が破られて「私たちの『日常』が、また始まった」と締めくくられたルポを、おとといの午後9時過ぎに社内で読み、帰宅した。翌朝、イスラエル軍の攻撃があって死亡したと伝える朝刊に言葉を失った▼かけがえのない命が一瞬ののちに断ち切られる。戦争とはそういうものだとこれまで書きながら、マンスールさんは大丈夫では、と同僚の一人としてどこか信じたいところもあった。悔しくも、はかない願いに終わってしまった▼戦闘が始まってまもなく1年半。現地では5万人を超える(こえる)人々が犠牲になった。わが心を濡らす(ぬらす)ものとは比べようもない多くの涙が、実際に流されてきたことだろう▼昨秋のルポで、マンスールさんは「もう、私は世界を信じられない」と書いている。「ただ、それでも、私は言葉を書き、写真を撮り続けるしかない」。その遺志(いし)を胸に刻む。