2025年3月11日 5時00分

東日本大震災から14年

 新聞記者がそこにいる。そこにいて、人に会って、記事を書く。ときに人間の悲しみや苦しみを、ときに勇気や笑顔を、がむしゃらになって伝えようとする。記者がいるということ。その意味を改めて思う▼朝日新聞の東野真和(とうの まさかず)記者(60)が、3人の姉弟と出会ったのは2011年5月、東日本大震災から2カ月後のことだ。長女と次女は高校生、長男は中学生だった。岩手県の釜石市(かまいしし)で両親を津波で失い、祖母と暮らしていた▼「どうやって立ち直ったの」と尋ねると次女は言った。「まだ、立ち直ってなんかないよ」。長男はうつむいて涙ぐんだ。著書『駐在記者発 大槌町 震災からの365日』で東野は振り返る。「ひどい質問だった」▼それでも、どこか信頼されたらしい。祖母に頼まれ、家庭教師になった。長男からは、テレビの怪談番組を一緒に見てと言われた。祖母に反抗しがちな長女に対し、たまらず小言(こごと)を言うと、悲しい顔をされた▼記事が載ったのは震災から1年ほどたってからだ。「大事なのは自分で決めること。あとで津波のせいにしないこと」。そんな長女の気丈な(きじょうな)言葉が紹介されている。同世代の被災者に向け、彼女は語りかけた。つらいのに、うまく泣けない時期が自分にもあった。でも、ならば、「笑うべし」▼震災から14年。三陸を訪ねると、東野は大船渡(おおふなと)の山火事の現場にいた。よれよれの黒い上着で、ぶすっとした表情で被災地に暮らす。復興とはなにか。問い続ける記者はいまも、そこにいる。