2025年3月3日 5時00分

かみつく、ほえる、うなる

 やたら何にでも、かみつく。ほえる。うなる。虐待され、心を深く病んで、人に懐かない(なつかない)。動物好きでも扱いに困るような犬ばかりを迎え入れ、育てている人がいる。静岡県の焼津市(やいづし)にある保護団体「わんずふりー」の代表、齊藤洋孝(さいとう ひろたか)さん(54)だ▼きっかけは、十数年前だったという。起業した会社の経営に行き詰まった。もう死のうと決め、自宅を出ようとしたとき、飼っていた犬がドアの前で動かない。体重70キロの大型犬を相手に、どけ、どかないを繰り返した▼「すべてを分かっていて、止めているな」。そう気づくと、死ぬ気(しぬき)が失せた(うせた)。助けられた命だ。自分以外のために使おう。人に噛み付く(かみつく)犬を保護するという、日本では珍しい活動を始めた▼連れてこられるのは、重い鎖でつながれ、怒りや悲痛に満ちた犬や、感情を失ったような目の犬たちだ。手袋を三重(さんじゅう)にしても、かまれれば痛い。手先を千切られる(ちぎられる)恐れもある。それでも鎖を外し、自由にして、愛情を伝える。徐々に落ち着く犬も多いけれど、そうでなくても、見捨てない。いつまでも、待つ▼会社の業績がよかったころ、高級車フェラーリのハンドルを握っていた指はいまや、赤黒い内出血(ないしゅっけつ)の腫れ(はれ)が絶えない。齊藤さんは朗らか(ほがらか)だ。「いまのほうがいい。そう気づけただけで、幸せです」▼焼津で彼と暮らす犬は40匹ほど。ごろんと草地(くさち)に寝転んだり、のんびりと、あくびをしたり。つらい経験をしてきた者たちを、駿河(するが)の太陽は穏やか(おだやか)に、温かく(あたたかく)包み込んでいる。