2025年3月24日 5時00分

目の見えない人との美術鑑賞

見るとは、どういうことか。見えるとは、何を意味するのだろう。深遠な問いを考えさせられた。水戸芸術館で先月、「全盲の美術鑑賞者」として知られる白鳥建二(しらとり けんじ)さん(55)とともに、現代アートを鑑賞するというイベントがあった▼「何を話してもOKです。僕のことは気にせずに」。そう促され、私たち男女6人の参加者が試みたのは、1枚の絵を見ながら、それを言葉で表すことだった。「キラキラした顔?」「大きな目」「黄色い花があるね」。これが意外と難しい▼鳥打ち帽姿(とりうちぼうすがた)の白鳥さんはニコニコして「へー」とか「ふーん」とか言って肯(うなず)いている。「これ座布団みたい」「メールの着信表示じゃない?」「仕事を思い出して嫌だな」。会話はどんどん脱線し、時折、笑い声も交じった▼1時間ほどで、3作品を味わった。「みなさんの言葉を思い出し、2週間ぐらい楽しめます」。白鳥さんは愉快そうだった。「展示室の広さや、人の動き、風も感じました」。なるほど、鑑賞とはかくも多様なものか▼20代の頃から、美術館を訪ね、作品の説明を聞いてきたそうだ。気づいたのは、視覚情報が芸術の一面でしかないこと。分からないことも楽しむ。そう思って独自の鑑賞活動を続けているという▼目が見えても、見えないものはある。見ているつもりでも、言葉にできないものもある。そんな何かを、私も教えてもらった気がした。「みんなが自由に話すのがいい。生き方とかも同じかな」。白鳥さんは飄々(ひょうひょう)と、言った。