2025年3月20日 5時00分

地下鉄サリン事件から30年

 1995年は、戦後社会の転機(てんき)になった年と言われる。阪神・淡路大震災(はんしんあわじだいしんさい)が起き、オウム真理教の事件が明るみに出た。東京と大阪(おおさか)の知事選で、無党派層(むとうはそう)に支持されたタレント候補が当選した。ウィンドウズ95でネットの大衆化が始まったのもこの年だ▼社会を揺さぶった地下鉄サリン事件から、きょうで30年となる。改めて多くの関連書籍や資料などを読み、そのとき何が起きていたのかはわかってきた。いくら読んでもわからないのは、「どうすればよかったのか」である▼事件を起こしたオウム信徒(しんと)の多くは若者だった。集団で無差別殺人へと暴走(ぼうそう)した根っこにあったもの。それが消えなければ、「オウム的なもの」がまた生まれる恐れがある▼村上春樹さんは、事件の3年後に出した『約束された場所で』で、救いを求める若者たちの姿をあぶり出そうとした。オウムの信徒や元信徒にインタビューしたのは、「根本的な問題は何ひとつ解決してはいないんじゃないか」との危機感からだと書いている▼信者ら(しんじゃら)は、悩んだり傷ついたりしなくても疑問への「答え」が与えられる魅力を語った。「自分でものを考えなくていい」「全部解けてしまっている」。社会で受け入れられずに弱った身なら、ふらっと引き入れられそうに思えてくる▼30年前は世界でも、暗殺事件や爆破テロなどが相次いだ。内外の出来事からほの見えるのは、価値観の揺らぎや暴力性だ。「どうすれば」を欠いたまま、今に続いてはいないかと不安になる。