2025年3月5日 5時00分
啓蟄とカエル
カエルの詩人と言われた草野心平(くさの しんぺい)に「冬眠」という作品がある。故郷の福島県岩城市(いわきし)にある記念文学館で、自筆原稿(じひつげんこう)を見た。400字詰めの用紙の真ん中に、ぽつんと「●」があるだけ。土の中での孤独(こどく)、静寂(せいじゃく)、暗闇(くらやみ)。そんなものを凝縮(ぎょうしゅく)させたのだろうか▼きょうは二十四節気(せっき)のひとつ、啓蟄(けいちつ)である。長い冬の眠りから覚めた虫や小動物(しょうどうぶつ)たちがもぞもぞとうごめき出す。先週末の思わぬ暖かさで、一足(いちそく)早く穴蔵(あなぐら)を出ていたのも、いたかもしれない▼それが一転。都心ではきのう、夕刻から冷たい雨が降り始めた。大雪(おおゆき)になる恐れから、高速道路が通行止め(つうこうどめ)になった。地表に這(は)い出ようとしていたカエルたちも、こりゃいかんと慌てて引き返したに違いない▼春の神様はじつに思わせぶりで、いったん天気が回復しても、もう一度、真冬並みの寒さになる地域もあるようだ。一方で、ダウンコートにマフラー姿で出社したのに、帰りの電車では汗ばんだりする。そうやって一進一退を繰り返しながら、季節は巡ってゆくのだろう▼カエルの声を聞けば詩情を誘われ、「生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」。そう言ったのは古今集である。でもビルの街では、春を迎えた彼らの喜びを耳にすることはかなわない。草野心平の「春のうた」で、その日を想像してみる▼〈ほっ まぶしいな。/ほっ うれしいな。/みずは つるつる。/かぜは そよそよ。/ケルルン クック。/ああいいにおいだ〉。もう、あとわずかだ。