2025年1月29日 5時00分

ジラード事件から68年

 事件は、群馬県の榛名山(はるなさん)の裾野(すその)にある米軍演習場で起きた。1957年1月30日のことだ。「ママサン、ダイジョウビ」。生活費をかせぐため、薬莢(やっきょう)拾いをしていた46歳の坂井なかさんが、ジラード特技兵の片言の日本語で呼び寄せられ、殺された▼有名なジラード事件である。人間を鳥獣(ちょうじゅう)のごとく撃ち殺す行為に「日本人はスズメではない」と世論は反発した。米軍は日本での裁判を認めたが、公判は茶番となった▼懲役3年、執行猶予(しっこうゆうよ)4年。「無罪と同じです」と遺族は嘆き、特技兵は自由の身で米国に帰った。当時の「アサヒグラフ」に、印象的な写真が残っている。裁判官、検事、米軍の将校が、裁判所の中庭(なかにわ)で和やかに(なごやかに)記念撮影をするものだ。「これこそ判決内容の姿だ」と同誌は書いた▼後に公開された外交文書で、両国間(りょうこくかん)に密約があったことが確認されている。日本で裁判を開く代わりに、「できる限り軽い判決」を出すとの秘密合意があった▼事件から、あすで68年。いまも米兵の惨い(むごい)犯罪は絶えない。容疑者が公務中とされれば日本で裁判はできず、公務外でも、現行犯などを除き、起訴まで身柄(みがら)の拘束ができない。日米関係は相も変わらず(あいもかわらぬ)、不平等のままである▼米軍絡み(べいぐんがらみ)の事件は裁判までいかないことも多い。女性への性的暴行事件で、沖縄では今月も、米兵が不起訴になった。私たちの知らないところで、不条理な何かが決まってはいないか。こんな現実がいつまで続くのか。古びた白黒写真(しろくろしゃしん)を、じっと見る。

ジラード事件(ジラードじけん)は、1957年(昭和32年)1月30日、群馬県群馬郡相馬村(そうまそん)(現・榛東村((しんとうむら)))で在日米軍兵士・ウィリアム・S・ジラードが日本人主婦を射殺した事件。日本に裁判権がみとめられたが、のちに日米合同委員会で裁判権や刑罰について密約があったことが明らかとなった。