2025年1月3日 5時00分
ダイヤモンド富士
ダイヤモンド富士は、自然がつくりあげる美(び)の競演(きょうえん)である。初日(しょじつ)の出(で)が霊峰(れいほう)・富士の頂(いただき)からあがる瞬間を見られると聞き、元日に山梨県の本栖湖(もとすこ)近くへ行った▼寒気の中で待つことしばし。空は薄い青になり、舞台は整った。だが日輪(にちりん)はまだ山の向こう。3776メートルを駆けあがるのに、太陽の足でも1時間ほどかかる。と、山ぎわに小さな雲が生まれた。「来るぞ」。レンズを向けていた愛好家から声があがる▼そして世界は一変した。山頂(さんちょう)の端から白い光の矢が一閃(いっせん)、すべてを貫く。輝きの中心はみるみる大きくなり、富士はその身を燭台(しょくだい)として捧げた▼壮大な光景に、古くから多くの人が心を動かされてきたのだろう。あの北斎(はくさい)も「富嶽百景((ふがくひゃっけい)」でダイヤモンド富士を描いている。作品全体を締めくくる頁(ページ)にも、署名(しょめい)に添えて、富士を模った(かたどった)印を押した。そこに有名な一文を記している。自分が70歳までに描いたものは取るに足らない。73歳でようやく、ものの骨格(こっかく)を悟り得た(さとりえた)。だから80歳になればもっと上達(じょうたつ)するはずだ、と▼名声を博していた画業(がぎょう)に安住(あんじゅう)するどころか、さらなる先を求めてやまない。印は、不尽(ふじ)とも不二(ふじ)とも書いた孤峰(こほう)に、己のあるべき姿を重ねたのだろうか。天才絵師にしてかくのごとし。ならば、わが身はもっと汗をかかねばなるまい▼帰り道、ふり返れば、悠然とそびえる山があった。うまくいかないことは、今年も多々あるだろう。それでも進め、進め。〈大北風(おおきた)にあらがふ鷹(たか)の富士指せり〉臼田亜浪(うすだ あろう)。