2025年1月1日 5時00分

ふるさとを思う

 人はなぜ、ふるさとを思うのだろう。そこに、家族の大切な記憶があるからだろうか。友人や近所の人のやさしい笑顔に会いたくなるためか。それとも、走って転んだ原っぱ(はらっぱ )や、その黒い土の苦みを、思い出してのことなのか▼川坂正樹(かわざか まさき)さん(73)は蛸島(たこじま)町に生まれ、育った。能登半島(のとはんとう)の珠洲市(すずし)にある漁港(ぎょこう)の町である。かつては巻き網漁( まきあみりょう)が盛んで、何とも活気に満ちていた。「列車の駅があって、床屋が何軒もあって、銭湯もパチンコ屋も映画館も、何でもある町でした」▼中学を出て、珠洲を離れ、遠く太平洋でイカをとる漁師になった。きつい仕事だったという。会社勤めも経て、還暦のころ、故郷に戻った。風景は一変していた。もう鉄道も何もなく、高齢化と過疎(かそ)の町だった▼1年前のきょう、妻と自宅にいた。正月で、早めにパジャマで横になり、テレビを見ていた。大きな揺れで玄関がつぶれ、がれきに閉じこめられた。暗闇のなか、大津波警報が聞こえた。「はい。あのときは、完全に死を覚悟しました」▼夜中に夫婦で助け出された。いまは蛸島の仮設住宅で暮らしている。娘のいる愛知県への移住も考えたが「人が減って寂しい」と友人に言われ、残ることにした。「漁師しとったから、我慢する力はあるさかい。なんとかなるやろ。倒れても地面や」▼故郷とは、何だろう。川坂さんに自宅跡を案内してもらった。がれきは撤去され、あたりは一面、更地(さらち)が広がっていた。潮の風が冷たい。波の音が小さく、聞こえた。