§2024-08-16
- 御三家(ごさんけ) 紀州(きしゅう)、尾張(おわり)、水戸(みと)
御三家(ごさんけ)とは、徳川家康の男子のうち義直(よしなお)(尾張)、頼宣(よりのぶ)紀伊)、頼房(よりふさ 常陸、水戸)の家系が将軍家に次ぐ家格として格別に扱われたことに由来し、ある分野で有力な3つの存在をいう。
尾張国(おわりのくに、をはりのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。愛知県西部にあたる。
紀伊国(きいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属し、和歌山県と三重県南西部に属する。
常陸国(ひたちのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。現在の茨城県の南西部を除いた地域にあたる。
水戸の石高(こくだか)が少なく、官位もちょっと中納言しかない。だが、参勤交代(さんきんこうたい)が免ずられ、江戸に屋敷に常住する特権があたれれている。天下の副将軍と言われた。
- 徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)、
父:徳川斉昭(とくがわ なりあき)、お隠居様、質性(しせい)豪邁(ごうまい)、女色に卑しい(じょしょくにいやしい)。好色(こうしゃく)にも功(こう)がある。男子だけで21人を産み、成人したもの男子12人、女子6人。
正室は京から来た有栖川宮家(ありすがわのみやけ)の王女、登美宮吉子(とみのみや よしこ)。
「美貌には掛け替えがある。聡明にはかけがえがない。この妻によって願わく(ねがわく)は英才を産みたい。」
1。 鶴千代(つるちよ) 十代慶篤(よしあつ) 2。 二郎麿(じろうまろ)、吉子の子、早逝(早世、そうせい) 3。三郎麿(さぶろうまろ) 4。 四郎麿(しろうまろ) 5。 五郎麿(ごろうまろ)、吉子の子、堂上風(どうじょうふう)京の血(きょうのち)の濃さ。養子に出した。鳥取藩、池田慶徳(いけだ よしのり) 6。 六郎麿(ろくろうまろ) 7。 七郎麿(しちろうまろ)、吉子の子、のちの慶喜。誕生の翌年、江戸小石川邸(こいしがわてい)を去り。あとはずっと常陸水戸城にいた。
藤田東湖(ふじた とうこ)、輔弼(ほひつ)の名臣(めいしん)